インスパイアとインスピレーション・リスペクトとオマージュの違い
インスパイアとインスピレーションは同義
インスパイアは、感化、啓発、鼓舞、または奮い立たせたり、ひらめきや刺激を与えたりすること。インスピレーションの動詞形。
※Wikipediaより一部抜粋
「インスパイアされる」:芸術分野において、尊敬する作家や作品に触発され、同じテーマに基づいて作品を創作すること。
インスパイアはこのように何かからひらめきや刺激を与えたりという意味でもありますが、デザイン分野における解釈としては芸術分野のそれと同じものかと思います。
「良いなと思うデザイナーの作品や作風に感化され、同じテーマで制作・創作を行う」これがいわゆるインスパイアであると言えます。
インスピレーションには「ひらめきや思いつき」といった意味がありますが、その実インスパイアの名詞形というものなので解釈としてはほぼ同じものと捉えても良いかなと思います。
つまりはインスパイアとインスピレーションは同義であり、その意味合いとしては自身が感銘を受けた作品や人物から着想を得て制作・創作に至るということです。
リスペクトとオマージュは同義
インスパイアやインスピレーションの根底には、必ず相手と作品に対しての尊敬「リスペクト」の想いが必要です。
こうした感銘や尊敬なくして行う製作や創作というものは、後述するパクリなどとそれほど大きな相違はなくなってしまうでしょうし、何よりその思いが作品にも現れてみる人の目にも透かされてしまうと思います。
そしてこのリスペクトとほぼ同義なのが「オマージュ」です。
リスペクト同様に作品や人物に対して敬意を表すること、これがオマージュのとって大切な解釈となります。
そして忘れてはいけないポイントはあくまでも制作のきっかけ程度の範疇に収める必要があるという点です。
特にグラフィックデザインにおいては、過度なインスパイアやオマージュといったものはデザインのビジュアル面に強く反映されてしまい、それが第三者の目にはまるで「パクリ」のように映ってしまう可能性があります。
それゆえ、グラフィックデザインに関してインスパイアやインスピレーションの域を超えないというのが重要かと思います。
グラフィックデザイナーとしてうまくインスピレーション(刺激)を得る心がけをする
どんなグラフィックデザイナーでも、これまでの経験の中で必ずと言っていいほど何かしらからインスピレーション(刺激)を受け、そこから着想を経てアイデアなどを得ていることがあるはずです。
それは同じデザインというシーンに限らず、音楽や映像などといったものからそれこそ料理に至るまで、ジャンルを問わず自身の五感から感じることのできるものであれば何でも。
そうしたものから感動や感銘を受け、尊敬の念を持って何か創作活動をする、あるいは衝動に駆られるということは多々あると思います。
あるいは自分自身でも気づかずに自然と刺激を受けており、知らず知らずの内に制作した作品にその面影を感じるといったなど。
自分では意識していないけど手掛けた作品がどこか自分の好きなデザインのテイストになっていたり、好きな作品に寄った内容になっている、なんていう経験は恐らくみなさんあるのではないでしょうか。
インスピレーションから得るものは時に「自分もこういったものを作りたい!」「自分も負けていられない!」といったポジティブな行動を促してくれ、一種のやる気スイッチとしての役割にもなってくれます。
こうした前向きかつ有益になるインスピレーションにするためには、自分の中でどの程度オマージュするかのボーダーラインをしっかりと見極めること、これが重要になってくると思います。
模倣とパロディ
模倣はいわゆるパクリ、盗作という解釈が正しいかと思います。
特定の作品の意匠・デザインをそのまま流用して使用するということであり、自分で工夫して作り出すのでなく、既にできているものをまねることということです。
つまりインスパイアやオマージュといった、尊敬や感銘といったものを原動力にしているものとは明確に異なり、ただただラクして良い思いをしようという人の堕落した部分の現れでもあります。
作品に対しての尊敬といったものは無く、売れるから、評判が良いから、といった邪な思いによるものが他のクリエイターが一生懸命生み出した作品を安易にマネていくのです。
「愛しすぎたが故に模倣した」なんていう耳障りの良いセリフは小説や映画の中にありそうではありますし、模倣した理由としては素直に作品が良いなと感銘を受けたからといものもあるかもしれません。
けれど理由は問わずパクリはパクリ、グラフィックデザインにおいては著作権侵害以外のなにものでもありません。もちろんこれはグラフィックデザインに限ったことではありませんが。
また模倣に近い表現で「パロティ」というものもありますが、実はこれはなかなか高い技術とセンスを要するものだと個人的には感じます。
いきすぎたパロディは相手や作品を馬鹿にしているように見えてしまうので、センスよくパロディとしてのエッセンスを取り入れ発信するのはなかなか難易度の高い手法に感じます。
程よいおふざけ感といったものを感じる程度であれば良いのかもしれませんが、これも行きすぎるとパクリになってしまう可能性は高いですね。個人的には黒に近いグレーな領域かなと思っています。
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